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0920 猫の地方性。

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猫の喧嘩で夜中に目が覚めた。

あなたにもそんな経験があるだろうか。

僕は今の横浜の家に引っ越してきてから季節に1度くらいの頻度でそれがある。

彼ら(彼女ら)はなんとも擬音化しづらい叫び声でお互いを威嚇し合う。

(ぴぎゃー!、んびゃ〜!あたりが近いかもしれない。)

不規則な周期で響く、その声で僕は目が覚める。 人間は狩猟民族なので大きな音より不規則な音に敏感だ、と昔誰かが言っていた。午前2時。

そうやって夜中に起こされるたびに僕は猫の地方性について少し考える。

僕が初めて一人暮らしをしたのは、仙台市に流れる広瀬川のほとりにある小さなアパートだった。

大学から徒歩10分で家賃3万4000円のロフト付き6畳のその部屋には大した思い出はないが、近所にとにかく野良猫が多かった。

観光地でもなんでもないが彼ら(そこの住む猫たちをあえて一括にする)はとにかく人懐っこかった。

合うたびに僕の足を外敵かなにかと勘違いして噛み付いてくる実家のネコとは大違いだった。(ナツ、君のことだよ。)

次に引っ越したのは寺と墓に囲まれた仙台駅徒歩3分のアパートだった。そこでも近所で野良猫を見かけることが多かった。

この頃から輪をかけて深夜に街を徘徊するのが趣味になった僕は、連れ立った体格差のある猫たちをよく見るようになった。家族ではないのだろう。野良猫の野良である部分を見てしまったような気がした。

「生まれ変わったら、ネコになりたい」とポエトリーな戯言(たわごと)をよく耳にするがラーメン屋の排気口の下で暖を取る猫たちに人間の言葉がわかったら容赦されないだろうな、きっと。

ちなみにこの文章では、"猫"と"ネコ"という表記にゆれがあるのだがあなたはその使い分けに気がついたであろうか。

僕はわからない。

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0919 防災マップ。

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横着な自分はポストの中のチラシをためがちだ。

毎日家を出るときにポストの中をチェックして、友人の結婚式の招待状やら水道代の請求書やら生活の上で必要なもの・避けられないものだけをピックアップして、隣町の不動産のチラシやらチェーンのピザ屋の割引券やらをつい放置してしまう。

塵も積もればなんとやら。そうこうして溜まった行き場のないチラシたちを月に一度くらいのペースでまとめて回収して家の中で取捨選択をする。(たまーに「え、これあったんじゃん!まず!」ってなる。ごくたまーに。)

この間もそんな感じで溜まりに溜まったチラシをぽいぽいとゴミ箱に捨てていた。そのとき、偶然地図を見つけた。 自分の住む横浜市の地区の防災マップだった。

「ほほーん。」

そのまま捨ててしまってもなんの問題もなかったのだが、妙に気になって広げてみると、それは自分が思っていたよりもだいぶ大きな代物だった。

「なるほどー。」

地図はエリアごとに色分けされていてその場所ごとの避難場所が目立つように書かれていた。

自分の住む場所は(大概の場所がそうであるように)このあたりの地域で一番大きな中学校だった。

台所の棚にしまってあった画鋲ケースを取り出して、玄関にその地図を貼ってみた。

僕は昔から地図が好きだった。

正確には地図を書くのが好きだった。

親の運転で一度通った場所は必ず覚えて、家に帰っては地図に書いて「おまえは記憶力がいいなー」と父に褒められた。

ノルウェイの森」に出てきた突撃隊という人物がいる。

彼は地図を愛し、国土地理院に入ることを目指す角刈りの学生だった。

本を読んだ多くの人にとって突撃隊は不思議なキャラで理解するのが難しい立ち位置のようだった。

物語の舞台からも途中で消えてしまう。

でも僕はこの青年がとても好きだった。

なんの、話だっけ。

そうだ、防災マップの話だ。

玄関に張った防災マップは僕の部屋の雰囲気からすると妙に浮いている。

そこだけ現実感が強いのだが、家の外に行く前、そして帰ってきたときに眺めるのにこれより良いものは今は思いつかない。

どうして早くポストからこいつを見つけ出さなかったのだろう。

そういうしょうもない、小さな後悔。

ちなみに村上春樹の作品は長編短編問わずほとんど読んできたが、「ノルウェイの森」が一番肌に合わなかった。

この話は長くなるし面白くならないことが見えているので割愛。

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