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2024-08

前に進もうと無理して頑張るのをやめて、今あるものをより良くしようと決心した。

そうしたら、過去の自分が認められるような出来事が立て続けに訪れた。

被害者意識(+誇大妄想)が強いせいで自分が負けているフィールドばかり探すようになっていたのだと気が付いた。

繰り返しの繰り返し。途切れ。

みんなの生活がある。頼って、頼られて。

5年くらい使った眼鏡を変えた。春先から始めた次の住居探しも無事に終わりを迎えた。

まだ引越し自体は先だが、4年住んだこの町とももう少しでお別れ。

良いも悪いもありがとう。

といっても同じ市内に引っ越すんだけど。

同じ市内といっても横浜は広いからね。

でかいテレビを買おう。

でかいテレビを買って、Disney+に入ってスターウォーズの一気見をするんだ。

そういう下半期にしよう。小さな目標。

新居は、「花束みたいな恋をした」のむぎくんときぬちゃんが住んでた部屋くらい川が近いです。

2024-07

最近。

誰かとご飯を食べたり、お茶をしたりするたびに「その人と今日どんな話をしたのか」をスマホにメモするようにしている。

記憶力が落ちた、というより集中力が持続しなくなった、というほうが正確だ。

テーブルに座っている時間はたしかに楽しかったはずなのに、数日経つと「はて、彼彼女と一体何を話して盛り上がったのか」さっぱり思い出せない。

最初は酒のせいにしていたが、平日のランチやちょっとした昼休憩の雑談でも同じようなことが起きる。

昔から物覚えはよいほうではなかったからメモを取るのは特に苦痛ではない。(むしろ好きだ。)

普段の会話が雑な分、むしろ後で一人メモを取っているときのほうが会話の相手のことをよく考えている。

メモを取るようになってから、不思議と少し解放された気持ちになった。

大げさに言えば夜ぐっすり眠れるようになった。

(いや、これは、大きなアイマスクを付けて寝るようになったからかもしれない。)

別の話。

この間、机を整理していたらフジのフィルムがひょっこり出てきた。

ベロが仕舞われていたから撮影済みかつ未現像のフィルムのはずだが、自信が持てない。

というのも以前、同じような状態のフィルムが見つかったとき、いそいそ現像に出したら未使用のものだったことがあった(誤装填したものを取り出して放置していたのだ)。

反省を生かして、今回はいつもの写真屋で事前に相談した。

専用の機械(フィルムピッカーというらしい)でベロを出してもらう。

「これはおそらく撮影済みですね。」どうやら装填時の傷がフィルムに残っていたらしい。

ほっと一安心。

現像したものを見てみると、いつもの散歩スナップ以外に友だちや奥さん、家族の写真も入っている。

危ない、もう少しのところで、こんな大切な写真を見過ごすところだった。

でも、そのとき思った。僕の頭の中には写真が会話よりも鮮明に痕跡を残している。

シャッターを切るとき、どんなことを考えていたのか、なにを見ていたのか。

ビジュアルシンカーなんて言葉が流行っているけど、それと通じているのかな。

言葉よりも記憶に残るもの。

もちろん、記憶に残るからそっちのほうが大切ってわけじゃないけど。

「解放された時初めて、人はそれがストレスだったのだと気が付く。」