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18歳の妹に薦められて読む「掟の門前にて」(フランツ・カフカ著)

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年末年始に帰省した際に、今年高3の妹が最近ある短編小説を読んで大いに考えされられたと話していた。

僕は驚いた。

僕の知る限りでは、少なくとも僕の妹というのは所謂「読書嫌い」の部類である。

さて、その作品について、今日は少し話したい。

 

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「掟の門前にて」(拙訳)

 

田舎から一人の男がやってくる。

掟の門の前には門番がいる。

男は言う。門の中に入りたい、と。

しかし、門番は言い返す。

「今は入ってはいけない」

それを聞いて男は訪ねる。

「今はダメということは後になれば入って良いのか」

「かもしれないな」

と門番が答える。

「だがとにかく今はダメだ」

掟の門は開いたままになっており、門番はその脇に直立している。

男はこっそり中を覗いてみることにした。

「そんなに中に入りたければ、行けば良い。俺はただ"入ってはいけない"と言っただけだ。」

門番は笑ってそう言った。

「いいか。俺は強いぞ。だが、門の中には俺なんか屁でもない強い奴らがいる」

男は困り果てた。

掟の門はいつ誰にでも開かれているものだと思っていた。

男は、門番をじっと見て思った。

ここは素直に入っていいと言われるまでじっと待とう、と。

門番は男に椅子を与え、門の脇に腰を下ろさせた。

その場所で男は幾日も座り続けた。

その間に、許しを得るために、男は門番にあれこれと手を尽くした。

しかし、門番にはうるさがられるだけだった。

時々門番が男に質問をした。どれも取るに足りないくだらないもので、結局最後には、男にこういうのだ。

「今は入ってはダメだ」

ここまで来る道中、男はあらゆるものを持ってきたのだが、全て使ってしまった。

門番に賄賂としてあげたのだ。

門番はその全てを受け取りはしたものの、

「貰っておこう。やり残したことがあるなどと後で思って欲しくないからな」

と言うだけだった。

幾日が幾年になり、そのうち男は門番がいることも忘れ、この門こそが掟へ至るための唯一の障害なのではないかと思うようになった。

男は不幸を嘆いた。

はじめはなりふり構わず大声をあげていたが、ときが経つとただいつまでもぼそぼそとぼやく限りとなった。

まるで子供のようになった男は、門番をずっと見つめてきたからか、彼の着る毛皮の襟巻きにノミがいることに気がついた。

男はそのノミに向かってすがる思いで「助けてくれ、この門番をどうか説得してくれ」と願った。

ついには男の視力も衰え、本当に暗くなったのか、目の錯覚なのかもわからなくなった。

しかし、それでもなお掟の門から差し込んでくる光だけは男にはっきりと見えた。

もう、男の命は長くなかった。

死を目前にして、男は人生全ての時間を通しての一つの疑問を抱いた。

それは男がこれまで一度も門番に訊かなかった問いだった。

男は残った力の限りで門番に手を振った。

「今更何を知りたいというのだ、欲張りな奴め」

「万人誰しもが掟を求めようとするというのに…」

男は言った。

「なぜこの永い年月、わたし以外誰一人、中に入ろうとするものが来なかったのだ」

もはや男は虫の息だった。

門番は、男の薄れゆく意識にも届くように大声で叫んだ。

「貴様以外誰一人、ここには入れない。そもそもこの門は貴様一人のためのものだった。もう俺の役目は終わった。ここも閉めるぞ」

 

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「掟」をなんと解釈するかによって、この作品はいろいろな解釈ができると思う。

法律や、習わし、宗教や道徳.....。

カフカの作品は、テーマが抽象的でありながらその表現がとても詳細だ。

村上春樹著「海辺のカフカ」にこんな一説がある。

 

カフカは僕らの置かれている状況について説明しようとするよりは、むしろその複雑な機械のことを純粋に機械的に説明しようとする。つまり…」、僕はまたひとしきり考える。「つまり、そうすることによって彼は、僕らの置かれている状況を誰よりもありありと説明することができる。状況について語るんじゃなく、むしろ機械の細部について語ることで」

 

ちなみにだが、この短編を読んだ妹の考えはユニークだった。

(あくまで一種の解釈だが…)

 

この門番が守る門とは「大人」への門であって、男は大人になるために誰かからの許可が欲しかったのだ、と。また、掟とはその「大人の世界の規律」である、と。

 

さらに、それに対して僕の母親の意見も面白かった。

 

「だとすると門番というのは両親なのかもしれない。子供が大人になるにあたって両親から認めてもらいたがるが、親はそうやすやすと認めない。男(子供)はこれまでの道中(人生)で持ってきたもの(身につけた知識や思想)を門番(両親)に賄賂として贈るが、門番はそれを煙たがる、というのは現代社会において自立できない子供たちと子離れできない親のメタファーと受け取れる。」

 

そうやって読んでみると、この作品はすごく悲しい作品のように思えた。

 

実は、妹はこの短編を教科書で読んだそうだ。

(なんだよ!びっくりした気持ちを返してくれ!)

でも、確かに春には大学生、社会人として新たなフィールドで生きていく高校3年生の教科書に載る作品としては、いい作品だと思う。