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音楽は握手のオマケか、の話。

 

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「音楽は、握手のオマケか。」

 

一時期SNSでよく見たこの文句。

 

ほとぼりが冷めた頃に今度は

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「音楽は、握手のオマケだ。」

という画像が出回った。

 

それぞれディスクユニオンタワーレコードの広告が元ネタと騒がれたが、どうやら後者のタワーレコードについてはデマらしい。

 

とはいえ、この騒動は各ジャンルの音楽ファンの間で話題となった。

 

たしかにAKBを代表する昨今の人気アイドルたちのCDは最早、週末のパシフィコ横浜幕張メッセ、名古屋ドーム…での握手会のために買われるものがほとんどだ。

一人で何枚も買い、それを本棚に並べてSNSで誇示する。悲しい現実だ。

 

とはいえ、この音楽業界の現状を見てただ悲観的に「邦楽は死んだ」と結論を急いでいいのだろうか。

僕はそうは思わない。

 

 

秋元康になんの才能があったか、それは優れたソングライティングでもなければマーケティング能力でもないと僕は考える。ファンが何を望んでいるのか、そしてそのファンとは誰なのかを研究し続ける姿勢こそ彼の才能だ、と。

 

話は変わるが、2009年の矢沢永吉のライブ映像。

この年、彼は還暦を迎えるということもありサプライズゲストとしてステージには氷室京介(元:BOOWY)と甲本ヒロト(元:ブルーハーツ現:クロマニヨンズ)が登場した。

 

各世代の邦楽ロックファンを魅了したロックスターの集合に観客はどよめいた。

キャロル、BOOWYブルーハーツ…演奏スタイルも何も違う彼ら…

しかし各シーンの先頭を走り抜けた彼らに共通していた点はないのか…

そう考えたとき自ずと答えは出てきた。

それは彼らが「物語を売る」プロだということだ。

 

キャロルと聞いてピンとこない僕ら同世代も、「成りあがり」を書店で見たことはある。

広島の貧乏ヤンキーがいかにしてロックスターになったか、拙い文章で情熱的に書かれたその半生記は当時ベストセラーとなった。

彼はその後も「アー・ユー・ハッピー?」という、今度はプロのミュージシャンとしてだけでなくビジネスマンとして世界を相手に戦う彼の幸福論を記したエッセイも出版する。こっちも大ヒットだ。

 

天性の演奏力を持つ布袋と天性のカリスマ性を持つ氷室が率いるBOOWYもなぜ今でも有名かと聞かれれば人気絶頂期の突然の解散のインパクトがでかい。

最後に夢を見てるやつに送るぜ Dreamin’

東京ドームのラストギグスは今でもリマスター盤が出回っている。

ついでに言うと、彼らも本を出している。

タイトルは「大きなビートの木の下で」

これを中学生のときによんだときは色々と考えた。

 

ブルーハーツについては言わずもがな、甲本ヒロトという男の存在が強烈だった。

劣等生でじゅうぶんだ、はみ出しものでかまわない

そんじゅそこらの人生経験じゃ思いつけない、あるいは発想はできても歌にはできないリリックを彼は音程など気にせず声高らかに謳い抜く。教室の隅でイマイチ空気になじめない少年少女にはそれがどうしようもなく衝撃的であり、心の支えとなった。

 

さて、話を戻そう。秋元康の何がすごいのか、それはファンの求めるものを的確に見つけ形にしていく力だ。

先の3組の例をよく考えて欲しい。僕たちは彼らの音楽に救われ支えられ愛している。その理由は音楽の演奏技術であり、歌詞の一小節一小節であり、何より彼らの生き方に、物語に魅入られたからだ。

 

21世紀に入り、ロック少年は次の世代の物語を求めた。

そこに出てきたのがAKBだった。

週末会いに行けるアイドルとして売り出された彼女らは、当初マスコミメディアのいい餌食だった。

当然だ。強いバッグがいるとはいえ、彼女らは素人だったし、何より可愛さに欠けた。

ここでいう可愛さとはそれまでのアイドルに求められていた偏差値80の可愛さだ。

フロントメンバーに限定してもせいぜい偏差値60~70だった彼女らがなぜ着実にファンを広げていったかといえば、まず何より「会える」という点が大きかった。

それまでアイドルはテレビの中の存在。僕たちは彼女たちが普段何を食べ何を見、何を望んでいるのか、知らずにただ応援するしかなかった。可憐で純白で清楚。頭の中に描くアイドル像を崩さずにファンでいるには、それで十分だったとも言える。

しかしAKBはそうしなかった。それは彼女たち、ひいては一人一人の物語をファンに売るためだ。卒業することも選抜に選ばれることも全てを物語として客の見世物にした。そうすることでメンバー一人一人の生き方、物語を際立たせた。じゃんけん選抜と聞いたとき、僕の周りはひどい演出だと皆笑っていたが、僕は度肝を抜かれた。それまでスポットの当たらなかった子たちもこれなら前に出れる。僕たちはもはやアイドルに可愛さは求めていない。そこにある「物語」を求めている。

 

先に述べたようにロックを愛する少年たちも立ち返ってみれば、そのスタートは画面の向こうのロックスターの人生という物語に惹かれた。親に無理言ってギターを買ってもらい、Fコードに苦悩しながら、「このバンドのギターはクソだね」といっちょまえのことを言う。なんてことはない皆スタートは同じなのだ。その少年たちが今度はアイドルに憧れるのは何の矛盾もないじゃないか。「今の若者はアイドルばかりでロックを知らない」ではない。皆同じ穴のムジナなのだ。

 

話が長くなってしまったが、僕の言いたいことは伝わっただろうか。おそらく「よくわからない」が多数だろう。でも、わかってほしいのはアイドルやアニソンにハマって昔のロックンロールを聞かないことは何の悪いことでもないということだ。(逆にかっこつけて昔のロックンロールは演奏がどうの、やっぱりレコードで聞かなきゃダメでしょみたいな人こそ今一度考えてほしい。)僕たちはテレビの向こうの「物語」に勇気付けられ、日々の退屈な生活の糧にしていく。笑いたければ笑うがいい。

 

とにかく話はまとまらなかったけど、僕の言いたいことはこうだ。

 

音楽は握手の、物語のオマケだ。