某日、多摩川河川敷を散策。
週末の天気予報が珍しく太陽燦々という感じだったので出かけてみたら、既に行きの電車からの風景でどん曇りであった。
日本橋周辺を歩く予定だったが、しかたがないのでいつもの川崎駅で途中下車して多摩川沿いをてくてくと歩いた。
釣りをしている家族がたくさんいた。
少し前の自分なら「多摩川の、それも川崎周辺で釣り?」となっていただろうが、つい先日、川崎水族館(カワスイと呼ばれている)で最近の多摩川の浄水処理技術とそれに伴う生態系の復活について学習したところだったので納得した。
カワスイはいいぞ。
某日、南六郷から蒲田まで散策。
別日、同じく川崎駅で降りた後、橋を渡って南六郷を散策。
時代を平成初期に巻き戻したような不思議な湿度が漂う街だった。(決して荒れているとかそういう意味ではなく。)
昼間から酒を片手に散歩するじいさんもいれば、公園で手製の手裏剣?を作って投げ飛ばしている小学生がいたり、そんなのをなんとなく眺めていると、細い路地をすごいスピードでワゴン車が走り抜けていったり。
きちんと育てているのか、勝手に生えてきてもう手に負えなくなったのか、あちこちに乱暴に育つ植物の姿があって、勝手にそれがこの街の象徴のように見えた。
なんだかぞくぞくする街だった。きっとまた行く。
某日、近所を散策。
もう散々歩き尽くしたと思っていた我が家からの徒歩圏内も、一本小道を挟むとまた知らない風景が広がっている。
そこにもまた素知らぬ誰かの生活はあって、喜びや悲しみが繰り返されている。
私たちはもっと、自分の住んでいる街にさえ、自分の知らない、自分を知らない人がたくさんいることを知るべきだ。
カメラを抱えて散歩していると、そう時々思う。
某日、仙台駅周辺を散策。
今月は大きなライフイベントとして結婚があった。
正確には6月にプロポーズと入籍をしたのだが、大切な両家の挨拶をすっ飛ばして私がことを進めてしまっていたので、今月「順番前後して申し訳ありませんが…」と改めて仙台で両家顔合わせの会を開いた。
心配していた親同士の相性もまずまず良かったんじゃなかろうか。
私の父が初めて県外の親戚ができる、と喜んでいたのが印象的だった。
相手方の実家が自然豊かで名産品も多い秋田。 対するはネギとこんにゃくくらいしか誇るもののない群馬。
手土産や贈り物などなかなか大変そうだ。(他人事)