10月。
一生懸命やっているときほど、周囲のノイズを多分に感じてしまう。
生活の、気を使うべきところを蔑ろにしてきた皺寄せ、と囁き声。
とっくに捨てた家電の取扱説明書が部屋から出てくる。
今年一年の疲れが、腰と爪にあらわれる。
昔から過度なプレッシャーがかかると爪を噛み、足を組む。
責務を果たし重圧から解放されて、ふと気がつくと、指はボロボロで、屈伸するたびに腰がポキポキなる。
来月、4年住んだ街を離れる。さよーなら。
ここから11月。
キシリトールガムを噛んだ後に缶コーヒーを飲むと苦味と爽快感がそれぞれ倍増して感じられて好きだ。
しかし、周りの誰に聞いても賛同を得られない。
妻には賛同どころか、最悪の組み合わせとまで言われてしまう。
こういうことがたまにある。
深夜のサービスエリア、駐車場を照らす蛍光灯になりたい。
平日のフードコート、呼び出しベルになりたい。
観測するのではなく、観測されるもの。
俺が見なくても、そこにあったもの。
現場と家を往復するハイエースの窓から見える無数の窓が、その明るさが、網膜に残像を残し、目が回る。
ソフアの隙間、東京の冷たさ、水面を輝く青い光。
(青は永遠に届かない色。)
熱中して、そういうゲームみたいだと思ったら、そういうゲームだったのか。
いい人の悪口も、いやな人のため息も、みんな白い。
”グッドバイ 世界には見ることもできない不確かな果実の皮を剥く”