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2024-01

年末から時々出る鼻血。鼻の粘膜が身体を代表して赤信号を発信している。

酒のせいで眠れない。ぼんやりとした意識の方向へ、文章を進める。

冥丁の音楽を聴いて過ごしていたら、年を越していた。

「婦人」と「廣島」って曲が好きでね。

あとは、散歩中。

jinmenusagiの「東京人」というアルバムをずっとリピートしている。

「Anata Watashi」を爆音で聴いて全部がちょうどどうでも良くなって、また振り出しに戻る。

彼はラップはもちろん、トラックも自分で作っている。

YouTubeで部屋中に広がる機材を「みんな興味ないでしょ」みたいな感じで紹介していた。

たとえ自分が倒れそうなときでも、声のボリュームはいつも通りでありたい。

誠実であるということは雨の日も晴れの日も変わらずに大切だ。

30歳になったことに一番自分がついていけてない。

数字なんて関係ないと口では言いつつ、無意識に頭が年齢のことを気にしている。

ゴールが近づく喜びとスタートが遠のいていく淋しさ。記憶のテープ。

積読していた本が埃をかぶっている。

じゃがりこはたまに食べると美味い。

ラバー素材の歯ブラシで歯を磨くのが楽しい。

家の洗面鏡の汚れが気になる。

自分が自分の撮る写真が好きという事実がちょっと面白くて、ちょっと怖い。

荒木経惟鬼海弘雄の対談を読む。

「写真は現代アートなんかじゃねえんだ」ってフレーズ。

大切な人の誕生日をFacebookの通知で思い出すような生活。

プレゼントでもらったフィルムを装填して、久しぶりに近所を散歩する。

あの坂を登った先、知らない公園で小さな祭りが開かれていた。

アメコミヒーローのパーカーを着た子供。

誰も口には出さないが、心の中で新年を祝っている、日曜日の昼。

また大きな地震が来た。

やっぱりというか、ここに現実味がなく、そんな自分が情けなく恥ずかしく、ネット募金だけして気を休める。

見ず知らずの誰かを思うことは難しい。

テレビで笑っている人が(今は)嫌い。

これからの人生において大切な選択をいくつも迫られる月だった。

迫られる、ってのは違うか。そろそろ直視しないとなという諦観。

内政的な自信と、対外的な自信(オーラ、が何かわかっていないが、まあそんな感じ)についてずっと考えている。

自己セラピーの積み重ねで、この壁は越えられるのか。

てか、別に超えなくてもこのままの生活で良くね?みたいな気持ちもやっぱある。

誰かを待っている。その誰かが自分だともう気がついてしまった。

無限だった選択肢は、ちょっと手札の枚数を減らしてはいるが依然、数えきれない。

あの娘が乗った快速電車。

見送る自分を、監視カメラがじっと見ている。

その背中がちょっと心配で、草木に水をやるように、自分に新しい香水を買ってあげた。

2023-12

[current] : カレント という英単語について考えている。

名詞だと「流れ」「電流」などと訳すのが一般的で、

これが形容詞になると「現在の」「流行の」といった意味になる。

不思議だ。

写真を撮ることは「流れ」を捕まえることに他ならない。

何の?光?人?風景?空気?…気持ち?

いやいや、きっと、なんでも。

来月のこと、来週のこと、今日のこと、昨日のこと、…つぎつぎ目の前を流れていく。

しずかな強度が必要だ。

(テキストでは削がれてしまう、細部に執着したい・固執したい。)

強い幹、頑丈な土台。

…でもその立派な土台の上に何を立てるか、決めるべきなんじゃないか。

自分の撮った写真には煮え切らないその態度が、全部が映っている。

でも、その態度が決して一方的に悪とも思えないんだよな。

子供のプレゼントにカメラを上げようか悩んであげなかったという文章を読んだ。

きれいな夕陽を見て「きれい」と思えるか。「カメラはどこだ?」と思ってしまうか。

まったくその通り。でもカメラを始めてから曇りも雨もぜんぶ好き。

「写真」を「誰でも今すぐできる軽率なアウトプット」と言った写真家がいた。

カート・コバーンがギターを「死んで朽ちた木」って言ったのと同じ。

(まあ、実際には言ったとか言ってないとか。)

一瞬の動作で、今日のことを今日のことのように未来に残せる。

なんてわがまま。なんて残酷。

けど、仕方がない、針は進む。人には見せないアティチュードを忍ばせる。

早朝、そっと窓を開ける。冷たい風が頬を撫でる。フレームの中で猫が欠伸をする。

だって仕方がないよな、がこの生活にきっともっとあってほしい。

無事に、30歳になりました。