年末から時々出る鼻血。鼻の粘膜が身体を代表して赤信号を発信している。
酒のせいで眠れない。ぼんやりとした意識の方向へ、文章を進める。
冥丁の音楽を聴いて過ごしていたら、年を越していた。
「婦人」と「廣島」って曲が好きでね。
あとは、散歩中。
jinmenusagiの「東京人」というアルバムをずっとリピートしている。
「Anata Watashi」を爆音で聴いて全部がちょうどどうでも良くなって、また振り出しに戻る。
彼はラップはもちろん、トラックも自分で作っている。
YouTubeで部屋中に広がる機材を「みんな興味ないでしょ」みたいな感じで紹介していた。
たとえ自分が倒れそうなときでも、声のボリュームはいつも通りでありたい。
誠実であるということは雨の日も晴れの日も変わらずに大切だ。
30歳になったことに一番自分がついていけてない。
数字なんて関係ないと口では言いつつ、無意識に頭が年齢のことを気にしている。
ゴールが近づく喜びとスタートが遠のいていく淋しさ。記憶のテープ。
積読していた本が埃をかぶっている。
じゃがりこはたまに食べると美味い。
ラバー素材の歯ブラシで歯を磨くのが楽しい。
家の洗面鏡の汚れが気になる。
自分が自分の撮る写真が好きという事実がちょっと面白くて、ちょっと怖い。
「写真は現代アートなんかじゃねえんだ」ってフレーズ。
大切な人の誕生日をFacebookの通知で思い出すような生活。
プレゼントでもらったフィルムを装填して、久しぶりに近所を散歩する。
あの坂を登った先、知らない公園で小さな祭りが開かれていた。
アメコミヒーローのパーカーを着た子供。
誰も口には出さないが、心の中で新年を祝っている、日曜日の昼。
また大きな地震が来た。
やっぱりというか、ここに現実味がなく、そんな自分が情けなく恥ずかしく、ネット募金だけして気を休める。
見ず知らずの誰かを思うことは難しい。
テレビで笑っている人が(今は)嫌い。
これからの人生において大切な選択をいくつも迫られる月だった。
迫られる、ってのは違うか。そろそろ直視しないとなという諦観。
内政的な自信と、対外的な自信(オーラ、が何かわかっていないが、まあそんな感じ)についてずっと考えている。
自己セラピーの積み重ねで、この壁は越えられるのか。
てか、別に超えなくてもこのままの生活で良くね?みたいな気持ちもやっぱある。
誰かを待っている。その誰かが自分だともう気がついてしまった。
無限だった選択肢は、ちょっと手札の枚数を減らしてはいるが依然、数えきれない。
あの娘が乗った快速電車。
見送る自分を、監視カメラがじっと見ている。
その背中がちょっと心配で、草木に水をやるように、自分に新しい香水を買ってあげた。