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2023-12

[current] : カレント という英単語について考えている。

名詞だと「流れ」「電流」などと訳すのが一般的で、

これが形容詞になると「現在の」「流行の」といった意味になる。

不思議だ。

写真を撮ることは「流れ」を捕まえることに他ならない。

何の?光?人?風景?空気?…気持ち?

いやいや、きっと、なんでも。

来月のこと、来週のこと、今日のこと、昨日のこと、…つぎつぎ目の前を流れていく。

しずかな強度が必要だ。

(テキストでは削がれてしまう、細部に執着したい・固執したい。)

強い幹、頑丈な土台。

…でもその立派な土台の上に何を立てるか、決めるべきなんじゃないか。

自分の撮った写真には煮え切らないその態度が、全部が映っている。

でも、その態度が決して一方的に悪とも思えないんだよな。

子供のプレゼントにカメラを上げようか悩んであげなかったという文章を読んだ。

きれいな夕陽を見て「きれい」と思えるか。「カメラはどこだ?」と思ってしまうか。

まったくその通り。でもカメラを始めてから曇りも雨もぜんぶ好き。

「写真」を「誰でも今すぐできる軽率なアウトプット」と言った写真家がいた。

カート・コバーンがギターを「死んで朽ちた木」って言ったのと同じ。

(まあ、実際には言ったとか言ってないとか。)

一瞬の動作で、今日のことを今日のことのように未来に残せる。

なんてわがまま。なんて残酷。

けど、仕方がない、針は進む。人には見せないアティチュードを忍ばせる。

早朝、そっと窓を開ける。冷たい風が頬を撫でる。フレームの中で猫が欠伸をする。

だって仕方がないよな、がこの生活にきっともっとあってほしい。

無事に、30歳になりました。