


一度辞めてしまったことや、止めてしまったこと。
それらを再開するということは、何かを始めることよりも難しい。
さらにそれは、年齢を重ねるごとにどんどん難しくなる。


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最後に、ストリートスナップの記事を書いたのが2025年の4月。
もう1年以上のブランクがある。



"ストリートスナップ"なんて言葉さえも、今はなんだかこそばゆい。
だいたい記事を更新していた当時も、それが"ストリートスナップ"だという認識があったかも怪しい。
それはせいぜい写真散歩であって、そうでありながら僕個人にはもっと神秘的な作業であり、時間だった。
それを、なぜ撮らなくなったのか。
自分でもよくわからない。
確かに1年前、あの頃に大きな心境の変化があった。


しかし、いくら自分で思い返してみても、あのときの出来事がカメラを街に持ち出さなくなった原因だとは言い難い。
昔、自分はある場所で「調子が悪い時こそ写真って楽しい」といった趣旨のことを言った。
であれば、通り一遍の言い訳も通じない。


人生には「困難」が必要だ、と最近よく考える。
日々、資本主義をやっていると、どんどんと人生が上手くなっていく。
それがなんだか嫌になって、目の前のレールから踏み外そうとしてみても、そこもまた誰かの敷いたレールだったりする。
どうしようもない困難。
でも、自分の立ち向かいよう、在りようによってはまだ何とかなる、なんとかせねばならない。
そう思わせてくれる困難が都合よくやってきてはくれないだろうか。
「困難」は資本主義の市場には出てこない。
みんなもきっと、言葉は違えど「困難」を探しているんじゃないだろうか。
死んだら、エンドロールは一度も行ったことのない海辺をバックに流して欲しい。
そういうことを通勤電車の中で考えている。


Pentacon 29mm f2.8を、F22まで絞る。
それくらい大袈裟に絞ると、今度は光の回折によって微細なディテールが溶けていく。
それが、愛おしい。
そういうことも通勤電車の中で考えている。







