「有名人じゃなくてもさ、
悪気なんてなくてもさ、
普段の会話の延長線上にあるうかつな発言で炎上する人多いからお互い気をつけたいね」
と言われた。
「たしかに。」
と返事をした。
そういえば最近身の回りで炎上をして傷つけたり傷ついたりする人をみたばかりだった。
「うかつな発言で炎上する人多いからお互い気をつけたい」という緊張状態はもう6,7年ほどずっと続いている気がする。
火に慣れてしまって全部ただのボヤ騒ぎとしか認知できなくなっているのかもしれない。
それはそれで怖いことだ。
炎上した記事や発言、ツイートなどへのコメント欄、リプライを見ていると思い出す景色がある。
小学校に入るまで、僕は団地暮らしだった。
特に変哲もない田舎の集合団地。僕の家は大通りに面した1階の角部屋だった。
その団地は面白い形をしていて、1階の住居と2階の住居の庭が吹き抜けでつながっていた。
そのおかげで1階に住む我が家にも家の奥まで陽の光が差し込んだ。
あるとき、2階の家に住む悪ガキ兄弟が買ったばかりの大きな水鉄砲で吹き抜けの庭から1階の我が家に打ち込んできたのだ。
今考えたら雨と大差ないのだが、晴れの日の我が家の窓をびしょびしょに濡らす奴らがひどく許せなかった。
父が窓から声をかけてみたが、案の定水鉄砲の的にされて終わった。
それはそれで愉快だったが、情けなくもあった。
「放っておけばいいでしょう。」
母の意見にしぶしぶ頷くかたちで僕らは黙って窓の外を見ていた。
その日の夕方、悪ガキ兄弟とその父と思しき人物が家に謝りに来た。
どうして、あんなことしたんだ?と父が聞くと
「1階の庭の草花のせいでうちまで虫が飛んで来るんだ!その退治をしたかったんだ!」
と言った。
「なるほどねー」と父は許したようだったが、僕は納得いかなかった。
悪ガキ二人は誕生日か何かで買ってもらったあの二段式の水鉄砲でとにかく遊んでみた買っただけなんだ、きっと。
でもわざわざそれを口に出す気にはならなかった。
正当化する用意をしてから打つ。ただ、ただ。
反撃されない、平和な位置から、一方的に。
別に世間の炎上案件にあーだこーだ講釈を垂れるつもりもないし、この昔話と無理やりリンクさせるつもりもないけれど、僕は世間の炎上ネタを見るとあの時の景色を思い出す。
「反撃されない、平和な位置から、一方的に。」
それが水鉄砲だったら、別にいいのだけれど。